斉藤孝  カメのブログ

カメの個人的ブログです。私の趣味、ガーデニング、友人との交流

「心のバリアフリー」盲導犬育成事業を通して 2019年12月

 「心のバリアフリー」
      盲導犬育成事業を通して
名児耶剛               

筆者横顔
1994年に中央大学卒業後、音響機器メーカーに20年勤務。4年程前から(財)日本盲導犬協会にて協会内の情報システム管理責任者として盲導犬育成事業と視覚障害者支援サービスに従事。妻と愛犬ニコの家族三人暮らし。趣味はバイクツーリングとガーデニング。お酒は少々、江戸前寿司は小肌。スポーツ観戦が大好きな埼玉出身の生粋のレオ党。
     https://www.facebook.com/profile.php?id=100004227700534



はじめに 
 皆様、はじめまして公益財団法人日本盲導犬協会職員の名児耶剛(なごやたけし)と申します。どうぞよろしくお願い致します。私は今から約20年前、中央大学で斉藤孝先生に図書館情報学をご教授いただき、大学卒業後、音響機器メーカーにて20年勤務し、4年程前から現職に就いて視覚障害者支援サービスを行っております。この度は斉藤先生のブログに掲載させていただけるという貴重な機会をいただき、盲導犬育成事業と視覚障害者支援について簡単ではございますがご紹介させていただき、少しでも皆様のお役に立てればと願いまとめさせていただきました。

盲導犬につい
 まずはこちらの動画をご覧ください。日本盲導犬協会がYouTubeで公開している盲導犬について学ぶ教育用ビデオです。お時間は15分ほどです。


  公益財団法人 日本盲導犬協会 公式チャンネル      https://youtu.be/pZswG2gHlUM

  いかがでしたでしょうか?

現在国内では3月末時点で928頭の盲導犬が現役で活躍をしています。北は北海道、南は九州まで日本各地で視覚に障害のある方と一緒に生活をしています。

盲導犬の育成
 盲導犬は素質のある親から繁殖で子犬が誕生し、それから1歳になるまでパピーウォーカーと呼ばれるボランティアの方に預けられ人との生活に慣れる訓練を行います。そして1歳からは訓練所で盲導犬になるための訓練を行い、その適性のある犬が盲導犬として登録され希望者の元へと送り届けられます。それから10歳になるまで盲導犬は視覚障害者のパートナーとして片時も離れず安全で快適な歩行を支え、生活の質の向上と心の安らぎを与えてくれます。引退後は、一般の家庭犬として大事に飼育され、その一生を終えます。

盲導犬は社会からの贈り物
 盲導犬の育成には大変多くの方々の協力が必要で、その方達の善意によって事業が成り立っています。皆様からいただくご寄付や寄贈、幅広いボランティアの協力、そして何よりその活動を正しく理解し応援してくださる全ての皆様の力が必要です。盲導犬は社会からの贈り物とも言われます。日本全国で視覚障害者は約31万人とも言われ、そのうち約3千人の方が盲導犬との歩行を希望されています。そのため、希望者の方達には盲導犬と実際に歩けるようになるまでかなり長い期間お待ちいただくことになっているのが実状です。

「声かけ運動」
 そのような中、視覚障害者の方の道路や鉄道での痛ましい事故が繰り返し起きており、2年前には盲導犬と一緒にいながら地下鉄駅でホームから転落し列車と接触し命を落とされるという悲しい事故が起きてしまいました。その事故を契機として鉄道各社でホームドアの設置が急がれ、また駅員の教育を徹底し、様々な配慮や工夫が成されるようになりました。しかしながらホームドア設置には駅の構造や設置コストの問題などがあり全ての駅に設置するにはまだ相当な時間が必要です。
他に何かいい策はないのでしょうか?そこで考え出されたのが「声かけ運動」です。困っている方を見かけたら、一言声をかける。

 「何かお手伝いしましょうか?」
 「何かお困りですか?」

その一言で救われる命があります。バリアフリーという言葉が社会で広く使われ、皆様のお気持ちの中にも当たり前のこととして受け入れられていらっしゃると思います。その甲斐もあり日本は世界一のハード面のバリアフリー社会とも言われています。しかしながら、ソフト面ではどうでしょうか?ぜひ皆様の声かけ運動で「心のバリアフリー」を実現させてください。これは視覚障害者の方達だけに限ったことではありません。身体の不自由な方、妊婦、高齢者等全ての々に対して同じです。
次回は、皆様にもう少し盲導犬について詳しくご紹介をしたいと思います。最後に、盲導犬と一緒に歩きはじめた方達の声をお届けしてまとめとさせていただきます。6組のユーザーの言葉をご紹介します。


 盲導犬ユーザーが一堂に会する「盲導犬新ユニット出発式」 https://youtu.be/3KACwSXB-g4

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
皆様の心の中に何か一つでも響くことがございましたら幸いです。     



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シャンパーニュ・ブルゴーニュのワイン紀行  2019年11月

シャンパン嫌いのシャンパーニュ  
              2019年11月
  シャンパーニュ・ブルゴーニュのワイン紀行


サイダーみたいな泡
 お酒なんでも大好きなカメ(私の愛称)。しかしシャンパンだけは心底楽しめません。サイダーみたいな泡がワインらしくない。貧乏人の大酒飲みなのでシャンパン本来の味など分かっちゃいない。日本酒の中で香りが強い吟醸酒も旨く飲めませんね。77歳になってもお酒に好き嫌いの偏見があったことを今頃になり深く反省。これからはどんな酒にも博愛主義でいきます。
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2019年11月12日雪もちらつく晩秋、シャンパンの本場、シャンパーニュ(Champagne)を訪れました。
郊外には一面のブドウ畑が広がっており、Champagneという地名の語源は「平原」を意味するラテン語のカンパニアに由来していることを納得。

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修道士ドン・ペリニヨン

 
シャンパンを五感できない哀れなカメ。悔しいので少し勉強しました。シャンパンは苦肉の策で誕生しました。光輝く温暖なプロバンスやボルドーに比べてシャンパーニュは葡萄栽培に適さないフランスの中でも最北のワイン生産地。パリから北東約140kmの位置にあり平坦地であることから、戦場になることが多い土地でした。1680年頃に修道士ドン・ペリニヨンが泡を瓶に閉じ込める製法を確立させました。彼の名は「ドン・ぺリシャンパン」として残り、夜の銀座高級クラブでも超有名です。
シャンパンの主要品種はシャルドネ、ピノ・ノワール、ムニエの三つ。特にシャルドネのみで造られたシャンパンを「ブラン・ド・ブラン」と、黒ブドウであるピノ・ノワールやムニエで造られたシャンパンを「ブラン・ド・ノワール」と呼ぶそうです。

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歴史的偉業は、シャンパンを熟成させるために地下に掘られた石灰岩のカーヴを人々が守り、その名声を守るため、A.O.C.法が制定されたこと。その結果2015年に「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

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ボーヌの「栄光の3日間」   
 ブルゴーニュ(Bourgogne)の中心にある都市、ボーヌ(Beaune)で11月16日から三日間開催されるワインの祭典「栄光の3日間」見てきました。ボーヌには鮮やかなモザイク状の瓦屋根の『オテル・デュー(施療院)』やワイン博物館がありました。このあたりコート・ドゥ・ボーヌはコート・ドゥ・ニュイとともに黄金の丘(Cote d'Or)と呼ばれ、フランスでも指折りのワイン生産地です。大好きなピノ・ノワール(Pinot Noir)は、赤ワイン用ブドウ品種でブルゴーニュを原産地とします。

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ロマネ・コンティ
 
これも銀座高級クラブの定番ワインですね。ブルゴーニュ北部コート・ドールではピノ・ノワール(Pinot Noir)の単一品種ワインが数多く造られています。そのうちコート・デュ・ニュイ地区ロマネ村のロマネ・コンティはこの種を原料とした世界最高品質のワインとされます。残念ながらカメは飲んだことがありません。
ブルゴーニュではタンクにそのままピノ・ノワールを入れていき、その重さで果汁を絞り出す方法が採られています。取り出された果汁は再び上からタンクに戻され、発酵の度合いを見ながら少しずつ果実を潰してさらなる発酵を促していきます。非常に手がかかるが、ピノ・ノワールの持ち味を最大限に引き出せる醸し方だそうです。

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ワイン通の言葉
 ここで知ったかぶりで生意気なワイン通の感想。

「優雅な芳香と優しくシルキーで溶けるような舌触りは洗練された気品を醸し出す。皮の色が薄いため、ワインの色はルビーレッドと言われるように薄め。タンニンは控えめで柔らかいが確かな酸味がある。若いうちはサクランボやイチゴ、ラズベリーのような赤い果実のフレッシュな芳香から、熟成にしたがってスパイシーな森の下草やなめし革といった複雑な香りになる。」

ブルゴーニュ赤ピノ・ノワールをこのような五感で飲みたいものです。このワイン通は語彙力不足で、教科書どおりに述べたにすぎませんね。

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ランスの大聖堂
 歴代のフランス王はランス(REIMS)のノートルダム大聖堂で戴冠式を行うことで正式な国王と認められました。15世紀にジャンヌ・ダルクがシャルル7世を戴冠式に導いたことでも有名。

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ところでランス(REIMS)のスペルREIMSをどう読むのか。何故、REIMSがランスなのか。英語国の人達はリムスと読むらしい。現地でその疑問は解けました。ローマ支配以前のガリアでは、この地にはガリア人のレミ族(Remi、仏語:Rèmes)の中心的城市であるドゥロコルトルム(Durocortorum)があった。ランス(Reims)は、レミ族(複数形Remis)の名が訛ったものと考えられています。 ランスには数多くの有名なシャンパン・メゾンが拠点を置いていて、町中の地下には、総延長120キロに及ぶワイン・カーヴが縦横に張り巡らされています。

ここで晩秋のシャンパーニュでシャンソンの名曲、『枯葉』(イヴ・モンタン)を聴いてみましょう。YouTubeから引用しました。


アルデンヌの戦い
学術的には有名なランス大学シャンパーニュ・アルデンヌがあります。このアルデンヌから有名な第二次大戦の激戦、「アルデンヌの戦い」を思い出しましたが、それはベルギーにあるアルデンヌのこと。映画「バルジの戦い」としても有名で、ノルマンディー上陸作戦で連勝続く連合軍がドイツ軍に敗北した戦場です。

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フジタ礼拝堂
日本出身の画家、藤田嗣治が眠るフジタ礼拝堂を見学しました。室内にはキリストの生涯を描くフレスコ絵画がありましたが、まるで漫画のような技法。ローマ法王庁から怒られたに違いない。

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ロンシャン礼拝堂
近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(Le Corbusier)が1955年に設計したカニの甲羅を形どったとされる独特な形態の礼拝堂です。彼は上野の国立西洋美術館の基本設計にも参加していました。こんな山奥に超モダンな礼拝堂が必要なのか疑問。鉄筋コンクリートの自由な造形を示していますからローマ法王庁に諫められたと思います。

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ボジョレー・ヌーボー
 
日本でも11月末にボジョレー・ヌーボーの解禁をバカ騒ぎします。これはブルゴーニュ東部のボジョレー地区で栽培さたガメイ(gamay)種で造られる赤ワインです。ボジョレー地区の痩せた酸性の花崗岩質土壌が、フルーティでフレッシュなワインを生み出すという。大粒で果汁が白いためワインの色調は明るい。ライトボディでタンニンはやや乏しいが酸味が豊かである。女性好みの味。

シャブリ(Chablis)
 
「シャブリ」は地区の名前で、シャブリ地区で作られたワインが「シャブリ」です。今回は残念ながらシャブリ地区に行けませんでした。シャブリ地区はブルゴーニュ地方ですが、ボーヌから北西に100km以上も離れた飛び地にあります。
品種はシャルドネです。シャブリ地区はその昔、海だったといわれており、今でも土壌から牡蠣などの貝殻が掘り出されます。この石灰質の土壌はミネラルが豊富で、ワインにもミネラルの風味をもたらします。さらに冷涼な気候は自然な酸をワインに与えます。引き締まった酸味と、海を感じさせるミネラル感は、確かに海だったのですね。

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シャブリは畑違いで様々な種類があります。4つの格付けがなされていてカメが飲んでいるのは単に「Chablis」と呼ぶ格安品です。参考までに調べると、特級「Chablis Grands Crus」、1級「Chablis Premieres Crus」、3級「Chablis」、その他「Petit Chablis」となります。今回、「Chablis Premieres Crus」をグラスで飲んでみました。1級畑の葡萄で作られるシャブリです。スッキリした飲み口であり果実味が豊かでコクのある味わいでした。

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ディジョン(Dijon)
 
エスカルゴやマスタードといったブルゴーニュならではのグルメ。マスタードといえばディジョンマスタード、ディジョンといえばディジョンマスタードが有名。原料は、アブラナ科のカラシ菜の種でこれに白ワインビネガーや白ワインと合わせて作られます。日本のおでん料理にも合いそうです。
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ブロッケン現象 ?
 今回はエールフランス航空パリ直行便を利用する贅沢な旅でした。パリまで12時間で行けました。60数年前の東京から大阪までの夜行列車と同じ時間ですね。三等普通列車の固い椅子が懐かしい。
帰りは久々に窓側席にいました。シベリア上空を過ぎ日本海を渡るとそこは日本。雲海に浮かぶように真っ白な富士山の頂きがよく見えました。
珍しい光景に興奮しました。乗っているエールフランス機の影が雲海に見事に写っていたのです。まるで高山で遭遇するブロッケン現象のようでした。

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2019年9月6日の誕生日で77歳になり喜寿を迎えたのに海外旅行が大好きで、いつまでたっても落ち着きません。老体に鞭打つように重いリュックを背に経済級(エコノミークラス)で質素な機内食と数杯の安ワインに満足しています。長々と駄文を綴りました。  カメ


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澤井音楽工房便り(11月号)    2019年11月

   白鳥をウォッチしてジャズを聴く

 澤井 清 

筆者横顔 
 仙台作並の後期高齢者。某女子大名誉教授。現在は全日空作並支局長。 なお全日空とは「全」ての「日」が「空」いていること。 趣味は多彩。ジャズ喫茶めぐり、写真、ハイレゾオーディオなど。 

 この時期、宮城県「伊豆沼」には越冬のため白鳥が飛来し、伊豆沼サンクチュアリセンターではネットで「渡り鳥飛来情報」が提供されます。今年は10月8日午前6時30分に登米市迫町の「迫川」でコハクチョウ12羽(成鳥)が飛来。平年(9日飛来)より1日早く、昨年(9日飛来)より1日早い。さらに、10月25日には、ハクチョウ類402羽が飛来した。11月から12月のシーズンには数千羽のオオハクチョウがやってくる。この伊豆沼・内沼はオオハクチョウ日本一の越冬地となる。
  伊豆沼には、オオハクチョウが好む水生植物の地下茎、マコモ、蓮(レンコン) が豊富なのだろう、今年はすでに種類も総数でも昨年を上回っている。沼沿いの田んぼには落ち穂をついばむ白鳥・雁の姿が。10月31日、今シーズン初ウオッチに出かけた。

湖畔のオオハクチョウ 2019年10月30日筆者撮影
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田んぼの落ち穂をついばむ「白鳥」と雁  2019年10月30日筆者撮影
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 沼をめぐり、野鳥群を抜け、小高い丘を目指し、もう一つのお目当ての「カフェ・コロボックル」に辿り着く。2016年3月に東京から移住してきた夫婦が開いたジャズ喫茶である。月1ライブもあり、宮城の新たなジャズスポットにもなっている。伊豆沼を望む風景に魅了されたとあって、店の窓からは絶景が広がる。従来のジャズ喫茶的雰囲気は感じられない。気楽にジャズとふれあい、寛げる、コンセプト通りの店である。そして何より、米国JBL社のフラッグシップ・モデルDD67000スピーカーからは、「ハイレゾ音源」による高音質の音楽が楽しめる。店主自作のデジタル機器類が並んでいるのは圧巻だ。客の持ち込み音源LP・CDにも対応してくれるので、すかさず持参したジャズピアノCD(後述)の中から、「白鳥の湖」(チャイコフスキー)を、お願いした。
 2019年10月30日筆者撮影
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「カフェ・コロポックル」 栗原市若柳 URL: cafe-korpokkur.com

 このCDのEuropean Jazz Torioは、1984年から数回のメンバーチェンジを経、1995年に現在の3人、マーク・ヴァン・ローン(Pf)、フランス・ホーヴァン(Ba)、ロイ・ダッカス(Drs) からなるトリオである。Pfのマークは、「ジャズの巨人」の異名を持ち、ジャズ界を牽引した名ピアニストといわれるビル・エヴァンスの影響を色濃く受けている。2009年には、日本の歌謡曲や童謡をジャズ化した(ジャパネスク-日本の詩情) り、日本でも根強いファンが多い。
 クラシック素材をジャズ化したアルバムには『SONATA(天空のソナタ)』があり、お勧めの一枚である。(前述の「白鳥の湖」はこの中に収められている。)60年代に一世を風靡した「ジャック・ル-シェ(Jacques Loussier)」、「オイゲン・キケロ(Eugen Cicero)」等を除けば、近年のクラシックのジャズ化という点では、最も成功したトリオではないだろうか。『SONATA』はジャズの良さを損なわず、その上で元の作品の良さをしっかり残している、上品で聴きやすいジャズアルバムといえよう。それでは、European Jazz Torio「白鳥の湖」ライブ演奏でお楽しみ下さい。



紹介CD
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European Jazz Torio 「SONATA」MYCJ-30253 ポニーキャニオン 2004年 2880円

 もうひとつの「白鳥の湖」のお勧めは、Thomas Hardin Trio の『JAZZで聴くチャイコフスキー』というCDに収められている「白鳥の湖」である。
Thomas Hardin Trio とあり、外国のトリオかと思いきや、実は日本人による演奏で、驚きです。Thomas Hardin は架空の人物名で、プロデュースと編曲は「神山純一」が担当している。ハイ・グレードな演奏とアレンジに優れた、知的でリッチでお洒落なCDとなっている。

紹介CD
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「ジャズで聴くチャイコフスキー」ビクターエンタティメント VICTOR VICG-5408 1995年2500円

 いずれも「廃盤」のため、入手困難、在庫店は極僅かであるが、Amazon Music、Apple Music、You Tube等で、試聴・ダウンロード購入が可能である。


作並音楽工房店長 澤井 清先生 貴重な投稿、ありがとうございました。 カメ 



北アイルランド紀行 ギネスビールを楽しむ 2019年10月

ギネスビールを楽しむ旅  アイルランド紀行   2019年10月

 30年程前の1990年に国際情報処理学会がダブリンで開催されました。私は48歳の研究者として一週間の学会に参加することができ、これを機会にして憧れのアイルランドを踏む喜びで一杯でした。毎日のように会議の後はダブリン市内を隈なく歩き回り夕方にはアイリッシュ・パブに入り、ギネスを片手にアイルランド人の様々な階層の人々と会話を楽しみました。大好きなアイルランド民謡を聴きまわりタップダンスなどの雰囲気を忘れることができません。平坦な緑の牧場がどこまでも続く穏やかな自然。ケルトの伝統をいつまでも大切にしている素朴で親切なアイルランド人。大好きな国です。今日では英国(北アイルランド)とのアイ ルランド紛争も終え平和な時代になりました。ただ心配なことは英国のEU離脱に伴う北アイルランドとの国境と関税問題があることです。
30年前のアイルランド訪問は学会出張なのでダブリンだけに滞在しました。今回は初めてのアイルランド観光といえます。
  30年振りのアイルランド島を巡る旅はアルスターから始りました。

アルスター
  北アイルランドはダブリンを首都とするアイルランド共和国と違い、イングランド、ウェールズ、スコットランドとともに、イギリス(連合王国)を構成する一地域です。正確にはUK(United Kigdom)の一部で昔からアルスター地方と呼ばれています。宗教もアイルランド共和国がカトリック教徒が多いのに比べて北アイルランドではプロテスタ ント教徒(英国国教会やスコットランド長老派)が多数を占めます。言語は英語でケルト語を話しません。人口は約180万人でアイルランド共和国の人口約 492万人よりも少ない。

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide.
But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

ロンドンデリー
  元の名前はデリーと呼びますが、17世紀に英国ピューリタン革命のクロムウェルが征服しロンドン市に与えたことからロンドンデリーと呼ぶようになりました。その有名な民謡『ロンドンデリーの歌(Londonderry Air)』は歌詞を変えて、息子の事を思い続ける母親の切ない心境を歌う「ダニーボーイ」に変わりました。

  DANNY BOY by Jackie Evancho - IRELAND  (YouTube引用)

ベルファースト
  北アイルランドの首都で昔から麻織物や機械そして造船工業が発展していました。そこの造船所で生まれたのが有名なタイタニック号。デカプリオとK・ウィンス レット主演映画で有名です。1912年4月15日に実際に起きたタイタニック号沈没事故をもとにした悲恋の物語です。
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Celine Dionが歌う『My Heart Will Go On』は、まるで昔からあるアイルランド民謡みたいです。ベルファースト市庁舎にタイタニック号遭難碑がありました。ここで『My Heart Will Go On』を聴いてみたいと思います。

  Celine Dion - My Heart Will Go On  (YouTube引用)

ギネスビール
 大好物の『ギネス・スタウト』をがぶ飲みする旅でした。本場のギネスは新鮮で旨い。大麦の一部は蒸かして挽き割りとし焦がすことで、ギネス独特のクリーミーな黒ビールの色になるそうです。ダブリンに本社と醸造所がありますが瓶詰めなどはベルファーストで行われています。日本販売のギネスの味は薄いですね。
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 I love Guinness              タブリン  ギネス本社工場

アイルランド共和国

  000010149[1]アイルランドはケルト人の国といわれます。ケルト人は、古代のヨーロッパに広く散在していた先住民族でしたが紀元前100年ごろからローマ帝国、ついでゲ ルマン民族に居地を追われ、西へと移動。紀元前300年ごろから徐々に現在のスコットランド、ウェールズ、フランスのブルターニュに渡り、紀元前 600年頃にアイルランド島まで到達しました。戦いを好まない優しい民族でした。
アイルランド島の大きさは北海道より一回り小さく、その南部7割を占めるのがアイルランド共和国。首都はダブリンです。

アイリッシュ十字架(ハイクロス)
  広大な緑の大地に厚い雲が垂れこめていました。青空なのですが真夏の入道雲のような巨大な雲の塊が空を覆い、すぐにでも雨が来そうな気配でした。そこはタラの丘と呼ばれるアイルランド人の心の故郷です。タラの丘はビビアン・リー主演映画『風と共に去りぬ』で真っ赤に燃える夕焼けを背景に再起を誓う場面で有名です。彼女の演じたスカーレット・オハラ役はアイルランド系アメリカ・ジョージア州農園の富豪の娘です。アイルランド移民が住む場所にはどこにでもタラの丘があるようです。
牧草地のなにもないタラの丘に大きなアイリッシュ十字架(ハイクロス)が立っていました。ハイクロスには見事なレ リーフがほどこされています。イコンと同じくアダムとイブに始まるキリスト教にまつわる物語です。普通の十字架とは違いクロスの真ん中に円があります。まるで太陽をモチーフしたようです。
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     タラの丘とアイリッシュ十字架(ハイクロス)     

ドルイド教
  その通り太陽なのです。アイルランドはキリスト教到来以前はドルイド教を信じていました。ドルイド教とは、太陽と大地の古い神々を信じ、 あらゆる生き物の中に霊的な存在を見いだし、まるで日本人の自然一体化信仰と似たアミニズムといえます。5世紀(432年)になってフランスとイングラン ドを経て聖パトリックがキリスト教布教のために渡来しました。聖パトリックの布教のやり方は異教やアミニズム信仰(ドルイド教)を否定するよりもケルト民 族古来の信仰や神話と融合する形でキリスト教を広めていきました。そこで生まれたのがアイルランド独自のケルト十字と呼ばれるラテン十字と太陽のシンボル であるリングを組み合わせた十字架だったのです。
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        どこまでも続く緑の大地

英国との紛争
  ブリテン島にはイングランドとスコットランド、そしてウェールズがあります。民族的にアングロサクソン系のイングランドは別にしてスコットランドとウェー ルズはケルト系が先祖だと言われます。しかし、宗教的にはブリテン島の人々は17世に英国国教会が創立されたことによりプロテスタントに改宗しました。やがてスコットランドも同じくプロテスタント系長老派に改宗しましたが、アイルランドだけはカトリックを守りました。この改宗からアイルランド問題が発生し20世紀までIRAなど悲劇の独立運動が続きます。30年前の
アルスター地方は危険でした。
 
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      ダークヘッジの夕焼け

アイルランド九年戦争
 17世紀にエ リザベス1世の治世になると、アイルランドにヒュー・オニールが現れ、スペイン(カトリック教国)の援助を受けてイングランドのアイルランド征服に抵抗しました。同じころスペイン無敵艦隊がイングランド侵略を試みるもののキャプテン・ドレークなどの活躍で打ち破ることができました。オニールが率いるアイルランド人領主連合は1605年に鎮圧されます。そしてエリザベス1世の次の王、ジェームズ1世がアイルランド全土を統治した最初のイギリス人国王となりました。ジェームズ1世は反乱の拠点であったアルスター地方に英国国教会、スコットランドの長老派教会などのプロテスタントを多く移入させます。アルスター地方はプロテスタントの支配する地域となり今日の北アイルランドとなりました。その後、アイルランドはピューリタン革命のクロムウェルによる侵略で徹底的にカトリック教会や修道院の破壊とカトリック教徒の弾圧が続きました。やがて、1829年になりカトリック教徒の弁護士ダニエル・オコンネルが、カトリック教徒解放法を成立させました。オコンネルはアイルランドの英雄と称されています。

ポテト大飢饉
  1845年から1849年にかけて非常に深刻な大飢饉がアイルランドを襲います。ポテトが主食だったアイルランドでポテト疫病とポテト不作が続き、人々は 飢えと病気に苦しみます。この飢饉が起きる前のアイルランドは800万人ほどの人口であったのに対し、飢饉で約100万人以上が餓死、約200万人は移住を余儀なくされ、アメリカやカナダ、イギリス本島へ移民しました。アイルランド移民は世界中に散らばり、米国を中心に今では約8千万人もいるそうです。西部劇の音楽はアイリッシュ・バイオリンが特徴。
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      ジャイアンツ・コーズウェイ

アイルランド人の名前
  私は昔からアイルランド人の名前に興味がありました。オサリバン(O'Sullivan)、オハラ、オブライエン、オコンネル、オニール (O'Neill)など頭に「オ(O)」が付いているのが特徴です。O`は孫、子孫の意味と「~から来た」という意味です。家族名にもケルト文化の影響が 見られます。スコットランドではMcやMacは"son of"の意味となりMcDougall(マクドゥガル)はDougallの息子となります。しかしアイルランドで一番多い苗字はマーフィであり、その次に多いのがオケリー(O'Kelly)で一般にケリーと呼ばれています。モナコ王妃となったグレース・ケリーはアイルランド系アメリカ人。アメリカ人の名前に もアイルランド系は多い。写真は、モーリン・オハラとグレース・オケリー(ケリー)です。赤毛とそばかす、赤ら顔の酔っぱらいもアイルランド顔。
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トリニティー・カレジ
 アイルランド最古の大学(1592創立)です。ガリバー旅行記のジョナサン・スイフトやオスカー・ワイルド、サミュエル・ベケットもここの卒業生です。図書館は1712年に建てられました。そこにはケルト芸術の傑作『ケルズの書』があります。
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    トリニティー・カレッジ図書館
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図書館中央にアイルランド最古のハープが展示されていました。このハープはアイルランドコイン(EU)に使われています。また、ギネスビールのラベルにも似たものが使われています。このトリニティー・カレジのキャンパスは30年前に国際情報処理学会が行われた思い出の場所です。学会は1990年7月に開催されたのですが同行者の一人がホテルの風呂場で転倒し負傷するというエピ ソードがありました。その結果、彼は入院することになり一週間もダブリンに足止めされました。彼は病棟で日夜、美人の若き尼さんから祈りをうけて興奮していました。
私は毎日、学会会場とホテルを往復、帰りに寄り道してアイリッ シュ・パブに日参しました。ギネスとフィッシュ・アンド・チップスを飽きもせず食べ続けました。

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     トリニティー・カレッジのキャンパス

バトラー・イエーツ(Yeats)
  アイルランド島の西北部にドネゲル(Donegal)という町と州があります。そこは歌姫エンヤ(Enya)の生まれ故郷です。ドネゲルから南下り大西洋 側にスライー(Sligo)があり、近くのバレン高原で巨石ドルメンを見ました。スライゴーはウイリアム・バトラー・イエーツ(Yeats)が愛した町 です。イエーツの墓はドラムクリフ村の小さな教会の墓地にありました。祖先はこの教区の司祭だったそうです。墓はイエーツの遺言どおり、゛大理石もいらぬ、常套句も無用、付近で切り出された石灰岩に自分の詩だけを彫ったもの゛でした。そこからは彼が愛したテーブルマウンテン(ベンバルベン)がよく見えました。墓標には晩年の詩『Under Ben Bulben』の一節が刻まれていました。
   Cast a cold eye
    On life, on death.
     Horseman, pass by!

   生と死を
    冷めた視線で見よ
     旅人よ 速やかに去れ

アラン島の見えるモハーの断崖
 さらに南に進みゴールウェイ(Galway)に行きました。その近くにあるのがモハーの断崖(Cliffs of Moher)です。思わず息を呑む高低差は最大214mの断崖絶壁が荒波の大西洋に突き出ています。強風が吹き抜け寒い。彼方にアラン島がよく見えました。
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モハーの断崖   右の奥にアラン島が見えた

10 月のアイルランド島の旅は幸運にも天気に恵まれて、一日で四季があるという目まぐるしく変わるアイルランドの天候ですが、晴ばかりで旅を穏やかに楽しむことができました。旅の締めくくりはギネスを堪能すること、そしてアイルランド民謡です。今回は透き通る歌声エンヤの曲にしました。


  Enya - Only Time (Official Music Video) (YouTube引用)

2019年9月6日の誕生日で77歳になり喜寿を迎えたのに海外旅行が大好きで、いつまでたっても落ち着きません。老体に鞭打つように重いリュックを背に経済級(エコノミークラス)で質素な機内食と数杯の安ワインに満足しています。長々と駄文を綴りました。  カメ

謝辞
(1) このプログでは3点の映像音楽をYouTubeから引用しました。
(2)  ガイド お世話になりました。
 山下直子さん
アイルランド共和国公認ガイド
ダブリン在住20数年にもなるベテラン。
アイルランドについて博学。
上品な日本語でお声もすばらしい。
ブログは下記です。
http://naokoguide.com/
著書『絶景とファンタジーの島アイルランド』(イカロス出版)もあります。



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