「カメの旅物語」(その2) 海外への憧れ
2022年8月16日
斉藤 孝
続編(その2)
小さい頃から海外に憧れました。それは地図だけの世界でした。
これまでの海外の旅の想い出について写真を題材にして述べたものですが、プライベートな雑文付き写真アルバムといえます。
東芝に入社
1969年、27歳で大学院を修了し東芝に入社しました。東芝・電子計算機事業部システム技術部という古風な呼び名の部署です。現在ならば最先端を行くIT事業になります。入社と同じ年に栄子と結婚しました。
ノートルダム寺院 パリ フランス
そして翌年、1970年8月21日に長女啓子が誕生しました。いよいよ東芝でサラリーマン生活が始まりました。
(レンブラント 夜警 アムステルダム オランダ 2012年12月)
「ヨーロッパ医療視察団」
入社してから4年後になり1974年に東芝が主催する「ヨーロッパ医療視察団」に参加できるチャンスを得ました。
バクー アゼルバイジャン
私は医療のシステム開発に従事していたからです。私の仕事の成果を評価されたことも推薦理由だったのでしょう。
スコットランド人夫妻 ウラジオストク ロシア
夢にまで見たパリのエッフェル塔やロンドン橋、ベルリンでは東西ドイツを分けるブランデンブルク門など見物できるなど、仕事そっちのけで興奮しました。
(アラブ人新婚さん モスク アブダビ バーレーン 2017年10月)
視察団の顔ぶれは、日本の医学界とその関連団体から派遣された著名な方々で総勢20名になりました。一番若いのは私と阪大医学部・心臓内科の若い先生でした。
モンテローザ スイス
ただ心配になったことは、帰国後に詳細な報告書を提出する責務です。膨大な資料を分析し、そして現地の記録を整理しなければなりません。
(中国・山東省 曲阜 孔子の生誕地 2000年6月)
1974年6月に視察団は結成されました。西ドイツ、英国、フランス、オランダ、ノルウェーそしてスウェーデンの病院、研究所など医療施設を視察することが目的です。約1か月の長旅でした。羽田からPan Amに乗り、まずアラスカのアンカレッジに飛びました。
(スロベニア・アルプス スロベニア共和国 2010年5月)
そして北極経由でオランダ・アムステルダムのスキーポール空港に到着しました。ここがオランダなのか。レンブラントの絵画を見たい。ヨーロッパの地に触れた瞬間、地べたを這うアリを見つめて感激しました。
(ポカラ宮殿 ラサ チベット 2019年11月)
神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)
カタールのドーハやエミレーツのドバイは今や巨大なハブ空港となり、世界中の国々へも飛ぶことのできる便利なゲートウェイとなりました。
(レンブラント アムステルダム オランダ 2012年12月)
イスラエルの若者は頭にキッパと呼ぶ小さな帽子を付けていました。「シャローム」と呼びかけると嬉しそうに微笑んでくれました。
インカ帝国遺跡 マチュピチュ ペルー
私が3回もイスラエルに行きましたというと、貴方はユダヤ人ですかと逆に質問してきました。今度は「サッラーム」とアラビア語で、続いて「神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)」と答えると大笑いになりました。
エンリケ航海王子記念碑 リスボン ポルトガル
オントロジと呼ぶ概念理論
昔の仕事の話で恐縮ですが、私の専門は図書館学や情報学、また情報哲学やオントロジ(概念理論)と呼ばれるものです。一言でいえば分類学です。
(ヒンズー文明 アジャンタ・エローラ遺跡 インド 2010年4月)
分類は知識の結晶であり、分類化の知的プロセスには、「わかる」とは「分ける」というオントロジから始まる人類の知識の獲得・表現の歴史が刻み込まれています。
(三位一体教会 モスクワ ロシア 2017年2月)
分類により知識は体系化されました。12世紀以降に西欧各地で創設された大学は、アリストテレス以来の「リベラル・アーツ」を基にしてカリキュラムを決めました。
(ペトラ遺跡 ヨルダン 2013年5月)
すなわち、「文法学」、「修辞学」、「論理学」という基本の3学科に加え「算術」、「幾何学」、「天文学」、「音楽」によって構成される「自由7学科」(リベラル・アーツ)です。
黄金福の神 台南 台湾
この自由とは、自由人のことであり、自由人にとって必要不可欠な学問を意味します。
(ガンジス河沐浴 ベナレス インド 2016年3月)
当時、技術や工学はリベラル・アーツに含まれない奴隷の技法とされていました。その理由はどうやらオントロジ(抽象化能力)が無いからと思われます。
奴隷にとってオントロジを考える優雅な時間はもてなかったのです。
(ローレライ ライン川 ドイツ 2017年12月)
21世紀は、ユビキタス情報化社会といわれます。私が危惧をいだくことは、許容量を越えて爆発するような情報空間の中で、人々は日夜仕事や遊びに追われ、奴隷のように過ごすことでオントロジを忘れてしまうことです。
(喜望峰 ケープタウン 南アフリカ 2018年1月)
ローマカトリックというメディア
テレビや新聞などメディアは、パレスチナで闘争が激化しているように大騒ぎしてますが、メディアのみなさんには冷静な報道をお願いします。
(マヨルカ スペイン 2017年2月)
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も共通の祖アブラハムから生まれた兄弟ですから仲良く暮らしてきました。宗教の違いを強調し、 政治に利用してきたのは時の権力者です。
(カリブ海クルーズ ハバナ キューバ 2018年4月)
十字軍思想
その中でローマカトリックはユダヤ人を虐め、十字軍思想を生み出しイスラム世界と敵対させることを煽り立ててきました。インドの人々はヒンドゥー教こそが宗教の原点であると誇りにしています。
(カナリア諸島クルーズ スペイン 2017年3月)
一神教の厳しさもなく穏やかで寛大な教えです。それを基にしたジャイナ教そして仏教は素晴らしい。中国西域の敦煌の仏像のお姿。
チンクエテッレ イタリア
天竺ブッタガヤ・アジャンタな どからガンダーラ・パミールを超えてゴビ・タク ラマカン砂漠を渡り飛鳥天平の日本まで遣ってきたのですね。
(ブドウ・ワイン研修 プロバンス フランス 2010年11月)
ユビキタスとカトリシズム
イスラエル国歌、ハティクバ(希望)には、次の詩があります。
「ユダヤの魂が脈打つ限りシオンに向かって、・・・自由の民となって、エルサレムに住むことである。」紀元70年8月、ティトゥスが率いるローマ軍はエルサレムを攻略し神殿に火を放った。
(カッパドキア トルコ 2011年2月)
こうして第二神殿の破壊とともにユダヤ人はパレスチナから追放されて、紀元135年の反乱を経て2000年のディアスポラ(離散)が始りました。
(ナムチェ・パサール エベレスト街道 ネパール 2012年11月)
言葉(ヘブライ語)と律法(タルムード)と最小限のものだけを携え離散します。旧約聖書はユダヤ教の聖書として、イスラエル民族の歴史を伝えたものです。
(カラパタール エベレスト街道 ネパール 2012年11月)
イスラエル民族の起源は、モーセに率いられてエジブトを脱出した出来事、出エジプト(エクソダス)にあるという。
リヨン・バランス フランス
エクソダスの一団は荒れ野の旅を経て、パレスティナの農耕地に定着し、紀元前10紀にはダビデ王とソロモン王の王国として繁栄しました。
(オペラ・ハウス シドニー オーストラリア 2011年10月)
まもなくこの王国は北のイスラエルと南のユダとに分裂した。エジプトとアッシリアとパビロニアの圧迫を受けて、イスラエル王国は紀元前722年に、ユダ王国は紀元前586年に滅されました。
(エベレストを望む ネパール 2012年11月)
イスラエル民族は、バビロンにおける捕囚として連れ去られる。紀元前540年のペルシアによって解放されて、パレスチナに戻ることができ、エルサレムに神殿を再建しました。
(カトマンズーからヘリでルクラに到着 ネパール 2012年11月)
現在の嘆きの壁(ソロモンの神殿跡)の場所である。その後のローマによる支配の時代にイエスは誕生しました。ローマ支配からの解放者イエス、同時にユダヤ教を普遍化する救世主でもあったのです。
(ビックベン ロンドン イギリス 2014年11月)
ユビキタス(神は普遍的存在)とはラテン語であるが、このような普遍化(カトリシズム)と密接に関係するようです。
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