斉藤孝  カメのブログ

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カメの旅 京都 「80歳の修学旅行」 2022年11月19日

カメの旅 京都 
  「80歳の修学旅行」 
          2022年11月13日~20日
                  斉藤 孝

 2022年9月6日は80歳の誕生日になった。1942年9月6日に中国・青島で生まれて、日本の各地で育った。中学生の頃、初めて京都と奈良の修学旅行を経験した。古いモノクロ写真に神社・仏閣など名所が数枚残っていた。

  そうだ。「80歳の修学旅行」、やってみよう !!

2022年11月13日~20日まで一週間を京都で過ごした。


  天晴な紅葉の日本庭園。穏やかな自然の美。
   『金閣寺』は、金箔に塗り込まれていた。
  厚化粧であるが、清楚な室町庭園の中で落ち着いていた。

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 (それにしても金ピカで趣味が悪いが、木造の細かな造作ですっきりしている。)

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 (金閣寺の美は自然の山と木々、そして池などバランスの良い配置で演出される。)

雨上がりの山道を登り、夕闇の『清水寺』を眺めた。
海外の若者達で大変賑やかだ。京都は世界の憧れの町。

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  (雨上がりの清水寺 夕闇と立ち込めた霧が優雅)
清水寺といえば、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざが有名。
「思い切って大きな決断を下す」という意味である。

余談であるが、海外観光客の日本観光の期待。国によってこんなに違うらしい。
欧州のドイツ、フランス、スペインなどは「伝統工芸」「伝統文化」「街の歴史」など観光資源の魅力を評価する。米国や英国など英語圏は「上質なサービス」や「外国人に優しい(観光しやすい)」そして「清潔」「治安」、観光の快適さを評価する。中国、香港、台湾、韓国は、「交通の利便性」「食事」を期待する。「伝統文化」よりも、より日常生活の魅力を評価する。

ベルサイユやシェーンブルンなど人工庭園しか見たことのない異邦人。
自然と静けさを尊ぶ日本庭園は理解できないだろう。

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(清水の舞台は、観音様に雅楽や能など伝統芸能を奉納するために造られた。)

大陸系庭園は、人為的な美しさを再現することで、権力を誇示。
自然すらも文明で支配できるものと強権的に主張する。

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  (嵐山)  夏に来たことがあるが紅葉は初めてだった。

隠遁したら命を奪われる異邦の権力者。一神教の恐怖。
隠居しても自然庭園を愛でる余生を与える日本。多神教の寛容。

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         (東寺の五重塔は高さ54.8mを誇り、日本一の高さの木造建築)

『平等院』は老夫婦のために絶景ポイントを与えてくれた。
ノンビリと一週間も過ごす終活の京都旅行だった。
町中がテーマパークになっていた。SNS撮影のために観光している。

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(ライトアップされた清水寺や青空の下の平等院)

京都の名所とは、寺社仏閣ではなく日本庭園にあるようだ。
自然との調和を重んじ、自然への敬意、移り変わる時間。
わび・さびという美意識。
これこそが日本庭園の魅力と確信できた。

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     (日本の伝統仏教宗派の大本山の3分の1以上は京都にあり、
     京都五山など規模が大きいお寺がいくつも存在する。)

京都では古くからの中心市街の「洛中」と、外縁部の「洛外」では文化が異なると言われる。    
     80歳の修学旅行で学んだ。


(続き1)

 「寺侍」 森家のルーツを探る 

秋晴れの下、『西本願寺』を訪れた。浄土真宗の本山で親鸞の廟堂がある。親類知人には、信者門徒が多数いるが、私は初めての参拝。

本願寺は文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転された。

本願寺が東西に分裂した原因は、1570年から1580年までの10年間、織田信長と石山本願寺が間戦った石山戦争までさかのぼる。
やがて秀吉の裁定が下り、教如は隠居して准如が本願寺の十二代目となった。これが今日の本願寺派であり、『西本願寺』となる。

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(唐門。桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した四脚門。彫刻は見事。)

森家の御先祖様は「寺侍」だった。格式ある家柄なのだ。

『西本願寺』など門跡寺院では、武士を雇用していた。
      そのサムライを「寺侍」と呼ぶ。

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(真っ赤な楓の紅葉 京都はどこでも彩り鮮やかだ。)

「寺侍」の武家屋敷は簡単に見つかった。『西本願寺』の近く、下京区文覚町384にある。門構えは隣の近所の京町長屋とは造りがことなる。一見して、武家屋敷のたたずまい。現在、築300年の武家屋敷は、『京都コンシェルジュサロン』と呼ばれている。

『京都コンシェルジュサロン』は、森家の寺侍屋敷を購入し大切に継承。海外観光客のために京都の文化を広報している。「寺侍」を忘れないでほしい。
  
    http://concierge-salon.com/about.html

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(武家に仕えるサムライとは異なり、名門跡寺に仕える「寺侍」仕事は多忙だった。)

森家はワイフ栄子の母親の実家である。この機会に「森家」のファミリールーツを探った。栄子の話によると約70年前には森ミツと呼ぶ祖母(1882年生)から昔話をよく聞かされたそうだ。当時は、 栄子の母(寿)の兄夫婦(森重一と文江)も同居していた。

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(御影堂  寛永13年(1636)建、中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置)
阿弥陀堂 宝暦10年(1760)再建、東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に阿弥陀如来の木像、法然聖人と聖徳太子の影像を安置している。巨大な木造建築。

寺侍は、用心棒ではなく経理や維持などの仕事を一切任されていた。剣術よりも明晰な頭脳によって『西本願寺』を支えてきたという。

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(飛雲閣  金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。三層からなる楼閣。)
桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式。書院の北側には、現存する最古の能舞台がある。
「寺侍」は西本願寺の書院も維持・管理し「寺侍」は陰ながら宗主を警護した。

森家の寺侍屋敷は約300年に渡り、威厳を持って京都と本願寺の歴史を見守ってきた。御先祖様の偉業、そして子孫への誇りという贈り物に、二人は心から感謝した。

余談であるが、「武家屋敷」について初めは疑問を感じた。
 京都は天皇と公家、そして神社・仏閣の町。
 京都に武家屋敷は変ではないか。
 殿様とは誰だろうか。
 お城は何処にあるのか。

 『二条城は』は近くにあるが・・・。
 戦のための城ではなく迎賓館のようだ。

 江戸時代になり武家が治める幕藩体制が確立されたが、
 京都は朝廷警護の大名はいたが・・・。
 その家臣の武家屋敷なのか・・・。

森家は、300年も続く「寺侍」だった。武家屋敷は、寺侍屋敷として使われてきたのだ。森家の御先祖は、寺侍の仕事を巧みに処理し300年の長き『西本願寺』の歴史を見てきた。


(続き2)

『京都ぎらい』 京都は好きになれなかった ?

 お高くとまっているといったイメージ。あの京都弁、なかでも京女がまくしたてる京都弁が嫌いだ。何でも「さん」を付けたがる公家さん好みのスピーチ。

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 (金閣寺)

しかも京都人は上品だと思っている。京都は歴史が古く街全体が上品に見える。京町家の長屋、風通しも悪くて、とても住みたくない。
逆に考えると、京都コンプレックスかもしれない。

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 (浄瑠璃寺)

「これぞ日本」という歴史ある風景は、京都にしかない。そして日本人の典型として、コトバに表れる優雅とやさしさ。今でもその当時の雰囲気を感じられる場所が数多く存在し、「和」を感じられる場所である。

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 (隋心院  小野小町が隠遁したという寺。 小町は出羽出身。秋田美人だった)

京都は、2000を超える神社やお寺、17の世界遺産を有する日本有数の観光地。 この街は、794年の平安京遷都から1868年まで約1200年の間日本の都として栄えてきた。 
応仁の乱の戦火をくぐり抜けた建築物や仏像、そして庶民が実際に住んでいた町家もあちこちに残る。

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 (銀閣寺)

京都は、街そのものが日本の文化である。
川が流れ、花が咲き、秋には紅葉や銀杏が色づき、四季折々の味わいがある。昔のあたたかい感じがある。

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  (浄瑠璃寺  京都の南、奈良県に近いところにある) 

寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。近くにある蟹満寺は、「今昔物語集」に出てくる「蟹の恩返し」の縁起で有名。

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 (銀閣寺  雅やかな金閣寺と比べてみる地味である。吉田山が見える。)

足利義政は、焼けてしまった浄土寺の跡地に金閣にならって「東山殿(東山山荘)」を造営。隠やかに生活したいと願う。

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 (平等院  サンディエゴ出身の若い女性が映してくれた。彼女と一緒に撮りたかった。)

本尊は阿弥陀如来。開基は藤原頼通、天喜元年(1053年)に建立された。

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  (萬福寺  珍しい中国風寺。黄檗宗大本山、聞いたこともない)

黄檗宗大本山である萬福寺は中国僧 隠元隆琦禅師(1592‐1673)によって開創された。中国福建省出身の隠元禅師は明代末期の臨済宗を代表する高僧。

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  (建仁寺  石庭であるが白砂でなく、苔の海)

建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本山の寺院。山号は東山。本尊は釈迦如来。開基は源頼家、開山は栄西である。かつて京都五山の第3位であった。

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 (二条城)

二条城は、江戸時代の平城であり近代においては離宮の役割を担った。京都の守護並び上洛時の宿所として造営した城である。

70年前に行った修学旅行の写真はセピア色になり懐かしい友の顔と一緒に残っていた。1956年~1959年頃だろうか。古い京都の街並みと市電だけが写っていたが神社・仏閣など名所の写真は一枚もなかった。

  「80歳の修学旅行」、やってみてよかった !!

                京都は大好きになった。 
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(終わり)  カメの旅 「80歳の修学旅行」 2022年11月









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