「ヒマラヤ戦友会」
3年振りに開催された。
2022年11月26日は、「ヒマラヤ戦友会」の10回目が開催されるという記念すべき日だった。
12年前の晩秋、2010年11月13日~23日、ネパールに出かけてエベレスト街道をトレッキングした。
その道順は、タンボチェ(3867m)、パンボチェ(3901m)、ペリチェ(4215m)、トゥクラ(4593m)、ロブジェ(4930m)、ゴラクシェブそしてゴールはカラパタール(5545m)であった。その仲間の会を「ヒマラヤ戦友会」と呼ぶことにした。
「ヒマラヤ戦友会」の前日、コブキ女将から、このようなメッセージを受け取った。身が締まるコトバになった。
いよいよ明日が「ヒマラヤ会」当日となりました。
昭さん12個のアイスクリームの差し入れ期待しております。
嬉しい事にカメも民子さんも出席となりました。
こんなにうれしい事はありません。
心配なのは私の意欲減退です。
なんとかこれから自分自身にはっぱをかけてみます。
何より、皆様に会えることを楽しみにしております。
市が尾駅から徒歩10分少し坂道がありますが
トンネルをこえますと公園の紅葉が見事です。
グーグルにでも道案内させてお出で下さい。
女将コブキは張り切り過ぎたのだろうか、少し心配になった。
しかし当日は、4人姉妹と一緒に優しそうで元気だった。ホッと安心した。愛用のキッチンで凄腕を振るっていた。
今から3年前になるが思い出してほしい。コロナ禍前で平和だった世界中。ウクライナ紛争もなかった良き時代だった。
前回の「ヒマラヤ戦友会」は、2019年11月9日に横浜・市ヶ尾の久米宅で開催された。トンベは元気に真ん中に座っていた。オスタのデコレーション・ケーキは注目の的だった。
あれから3年の月日は流れた。コロナ禍による会合自粛という苦しい日々を耐えてきた。コロナ冬眠の厳しい日々を送ってきた。余命も残り少ない高齢ワンダラーにとり「ヒマラヤ戦友会」を開催して欲しいという熱望。開催は苦渋の英断だった。
コロナ禍中に、朋友トンベ(田中透君)を2021年に亡くした。
トンベは、天空の厳かな山頂へ登っていた。そこは白い峰エベレストよりも高い天国の岩稜である。トンベはいつも仲間の中心にいて、みんなのことを思いやる優しい心で、「ヒマラヤ戦友会」の絆を大切にしてくれた。トンベを偲ぶ会としても是非とも「ヒマラヤ戦友会」の開催は期待された。
2022年11月26日についに実現された。感無量だ。
ここで、「ヒマラヤ戦友会」の歴史を振り返ってみよう。
最初の会合は、2011年11月10日(毎年11月第二土曜日)に鵠沼カメ宅で開催された。10年前になるから、みなさんは高齢者であったが70歳代と少しは若かった。
2014年から2018年までの記録である。コブキ女将の采配による手料理の数々は「ヒマラヤ戦友会」の名物になった。最後の締めは、いつもオスタの豪華な巨大なケーキだった。
あれから回数を重ねて2019年で9回目を迎え、翌年2020年は10回目という記念すべき祝賀年となる予定だった。
しかしながら2020年は実現されなかった。すべてはコロナ禍に原因がある。
2022年11月26日は久々の再会だった。何となく照れくさい雰囲気も感じられたが、コブキ女将の豪華な手料理によって一気に昔のみなさんの食欲はもどったようだ。
もりもり食べ、カブカブ飲む、そして乱れた雑談。ヒマラヤ戦友会は3年間のブランクなど忘れたかのように盛況になった。
隊長のマサボンからの挨拶で始まった。テーブル上に所狭しと並べられた豪華な料理を目の前にして、スピーチよりも、何から食べようかという食欲戦略、よだれを溜め込んでいた。早くも女性のお皿は空っぽになっていた。
シャンパンとシャブリによる乾杯。トンベの追悼などに続き、コブキ女将から手料理の紹介があった。コブキ女将の苦労を忘れたかのような吉之助亭主の眠そうな顔。
みなさまからの膨大な差し入れの数々は食卓を一層、豪華なものにした。「太一」は一早く平らげ満足していた。次は稲荷寿司とシシトウの春巻きを狙おう。胴回りが太い太一。
参考までに料理の差し入れを紹介しておこう。コブキ女将の指示であるから粗相なきよう緊張して準備した。
オスタ様
筑前煮、漬物、ケーキよろしくお願いいたします。
量は少なめにしてください。
民子様
ローストビーフ、例年のように差し入れお願いできますか。
だるま殿、高原ビールの手配よろしくお願い致します。
光枝様
果物よろしくお願いします。
皆さま
ワイン赤白、日本酒、その他、つまみ類の差し入れ大歓迎
よろしくお願いいたします。
コブキ女将の陣頭指揮の下で豪華な手料理の数々を楽しみ、ヒマラヤの荘厳な峰々を懐かしみ、エベレスト街道で苦楽を共にした旧き友は楽しく歓談した。
こんな宴会をよくもまあ10年も続けてきものだ。ささやかな伝統になった。「ヒマラヤ戦友会」は誇り高い会合といえる。
毎年問題になる事は、料理の内容と当日の服装についてだろう。ダルマは過去5回も全く同じ衣装で参加続けている。ユニクロへ行き、洒落たものを見つけてきてほしい。
「レッサンピリリー」の歌声に合わせて、ダルマとカメは踊る。カトマンズから、エベレスト街道の道中まで「餃子モモ」を食べながら毎夜踊った。下手な踊りにシェルパは呆れていた。
ヒマラヤ戦友会は、品格ある宴会を続けていくだろう。老化痴呆は深刻な課題になっても酒宴となれば、なんとか誤魔化して出席できるだろう。90歳まで頑張ろう。
オスタの巨大なケーキは何層も重ねたお菓子である。
上手く塗り固められた豪華な姿は、まるで結婚式のケーキのようだ。名パティシエ、オスタは誇らしげに微笑んでいた。
均等にナイフを入れる。これがなかなか難しい。上に飾られたブドウの数にも配慮した。ミリ誤差も許されない。食べ物の恨みはいつまでも残る。あさましい。
テレビ大画面に映し出されたエベレスト街道の写真と唄。
神々のヒマラヤの荘厳な峰々の姿こそ想い出を飾る最高の記念になった。
渓谷を流れるドオドコシ川はエベレストの氷河を源流とする川で、急流を吊り橋で数回渡った。進むにつれて酸素が半分となり高山病の対策は重要だった。
何処でも聞こえる唄は「レッサンピリリー」の歌声だった。
Resham firiri, resham firiri
Udera jaunkee
dandaa ma bhanjyang
Resham firiri
レッサンピリリー、レッサンピリリー
ウーレラジャンキー
ダーラマバッサン
レッサンピリリー
下記の動画を矢印クリック(「レッサンピリリー」の歌声)
2022年11月26日に開催された「ヒマラヤ戦友会」、
戦友のみなさまの益々の御健勝を祈ります。
会合を盛りあげて、場所と豪華な手料理を提供頂いた久米御夫妻に心から感謝を表します。
2022年11月27日
斉藤 孝 (カメ)
関連アーカイブ
(1) エベレスト街道トレッキング (2010年11月13日~23日)の行動記録(pdf)
この記録は印刷版(pdf)によるもので行動記録の途中20頁まで読むことが出来る。
ダーサ「相川正汎」のコトバやメンバープロフィール(写真付き)、そして行動記録(途中まで)
(2) 『レッサンピリリー』 想い出を飾る (動画) 2021年8月
(3) カメのエベレスト街道 2010年11月13日
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