美ヶ原 「白銀のビーナスの丘」
2023年1月27日~28日
これは、傘寿80歳を迎えた二人の老ワンダラーの紀行である。
2023年1月27日~28日、一泊二日の短い冬山日記でもある。
(山本小屋 コタツに足入れて寝る昔のスタイル。鴨鍋おいしかった。)
「美ヶ原でスノーシュートレッキング」というツアーに参加した。
二人とも冬山なぞ、昔の誇らしい体験もあり、軽く考えて自信満々だった。
雪深い苗場浅貝や福島五色でスキー合宿も何回も経験し、厳冬期の南アルプス・聖岳にも登った。さらに15年前の11月にはエベレスト街道をトレッキングして標高4500mのカラパタールまでに到達した。
雪や寒さなぞ、少しも怖くもない。
(「白銀のビーナスの丘」の印象を物語る要約写真。 雪原と雲海は一体になった。)
「美ヶ原」
夏の美ヶ原は一面に緑が広がる高原である。山の頂上付近には彫刻の森美術館もあり、ハイヒールでも行ける。諏訪湖から蓼科を経て霧ヶ峰まで「ビーナスライン」と呼ぶドライブウェイで結ばれいている。
(今年は美ヶ原一緒に歩けてよかった。雪山気分も味わえた。)
「美し」「ビーナス」「草原」
これらの名前だけでもロマンチックになれる。
夏は、女性の憧れの高原なのだ。
(山頂付近歩き TV塔とリゾートホテルを前景に。 北アルプスは雲で見えず。)
真冬の美ヶ原は、緑から真っ白な高原に激変する。
積雪は少なめであるが深さ1mはあるだろう。
冬の絶景を求めて厳冬の美ヶ原へやって来た。
真冬は、中高年の憧れの高原なのだ。
(指先が冷たくて痛いくらいだ。加齢によるものか血の巡りが悪い。認知症もある。)
スノーシューを履いて雪の上を歩き回り、歩き回ったトレースが残っている。
シュカブラ(雪紋)の美しい風紋やスターダスト、霜の華など幻想的な景色が広がる。防寒装備も万全、ホカロンも大量に買い込んで準備した。二人の老人は大い張り切っていた。
(雪山装備は万全、格好よく笑う。来週は常夏のバンコック旅行が待っている。)
山本小屋で昼食を食べる。一杯くらいビールならば大丈夫と判断。午後から雪中歩行のトレーニングを行うと告げられていた。小屋の近辺をスノーシューを付けて練習するという簡単なものだ。それが甘かった。高加齢を忘れていた。
(ホワイトアウトになるような視界の悪さが迫ってきた。)
「八甲田の雪中行軍」
初日は雪雲に深く包まれ、強い寒風もあり粉雪もチラついていた。
分厚い手袋の中でも手先は冷たく、感覚がなくなった。
凍傷寸前のような痛み、ストックは上手く握れない。
"冬山はやめよう !!"
これでは、死の雪中行軍になる。あきらめの境地になった。
(スノーシュー歩き 晴れると快適。 雪原の少しの斜面に息切れし、歳を感じる。)
天候は曇りから雪空に変わり、雪がちらついてきた。視界はよくない。
ホワイトアウトまではいかなくとも、だんだん周辺が見えなくなってきた。
雪中行軍になるかも。明治期の死の八甲田の雪中行軍を思い出す。
縁起でもない。
(女性のパーティーに近づく、女性の横で姿勢よくスノーシューを飛ばした。)
「天は我々を見放した」
映画『八甲田』の名文句。1902年1月に歩兵連隊が八甲田で雪中行軍した。
途中で遭難して210名の歩兵の中で199名が死亡した雪中行軍の遭難事件。
(もうすぐ日の出だ。雪原が朱に染まる。まだ月が煌々と輝いている。)
「白銀のビーナスの丘」
二日目早朝、朝日が美しい。中央アルプスの彼方に燃えるような太陽の輝き。
興奮して小屋を飛び出した。吹雪も終わり、快晴になるだろう。
(日の出、 前日の吹雪、雪中行軍から明けて 輝く日の出を拝む。)
なだらかな起伏が続く丘陵の向こうから日が昇ってくる。
もうすぐ日の出だ。雪原が朱に染まる。まだ月が煌々と輝いている。
風紋ができた雪原で、雪の結晶がキラキラ輝いている。
(ただひたすらに雪と空だけがある景色は絶景。風紋ができた雪原。)
美ヶ原から霧ヶ峰を通り蓼科に続く道は「ビーナスライン」と呼ばれる。
「ビーナスライン」の名は、蓼科山の山容を「ビーナス」に例えたことに由来する。やや無理がある愛称と思えるが、「ビーナスライン」は道ではなく体形 ?
(冬にしか見ることができない景色がそこにはあった。)
穏やかな山並みが少しずつ高くなる。
標高2000mまでに広がりを見せてくれる。優雅な美しい山と高原の曲線。
横たわるビーナスラインだろうか・・・。妄想する。
蓼科辺りは「美の女神」のお顔のようにも見える。
ボッティチェリの名画『ビーナスの誕生』を想う。美しさを追求している。
真っ白な雪原となった美ヶ原は、「白銀のビーナスの丘」ではないのか・・・。
女神のために頑張ろう !!!
「白銀のビーナスの丘」をスノーシューで徘徊した。
(シュカブラ(雪紋)の美しい風紋やスターダスト、霜の華など幻想的な景色。)
美ヶ原は王ヶ頭(2034m)を中心とした標高約2000mの溶岩台地である。 晴れると富士山、八ヶ岳、北アルプスなど360度の大パノラマが楽しめる。二人の80歳の老登山家は寒さに震えながら「白銀のビーナスの丘」のベリーボタン(おへそ)まで到達した。これで十分満足できた。
(ビーナスの乳房なのか・・・有名なランドマーク)
あまり奥には入り込めないが、ひざ上まで雪に埋まりながら、木々の影を撮影。いたるところ、スノーシューで歩き回ったトレースが残っている。
(冬にしか見ることができない景色がそこにはあった。)
「白銀のビーナスの丘」は広大である。遥か右前方に、二人の老人の姿は米粒のように見える。酔っぱらってリングワンデリングしている。赤ら顔である。
(白銀のビーナスの曲線をスノーシューで徘徊した。)
快晴になり雲と雪原が交わっていた。標高2000mの高原は夏には牧場になる。
遠近感が失われてしまうほど、ひたすら続く雪景色。
(80歳をバカにしてわいけない。やればできるぞ・・・! ビーナス愛している・・)
日が高くなり、雲が湧いてきた。空がとても近く感じられる。
天と地が一体になった。ビーナスとも一体になった気分、幸福だ。
(天と地が一体になった。どこで雪原が終わり、どこから雲の世界が始まるか。)
(遥か右前方に、二人の老人の姿は米粒のように見える。)
真っ青な空が見えた。雪原を進むと雲海まで続けて歩いて行ける。 天国までスノーシューで登れそうだ。亡き母や友人など故人にも会えるだろう。
女神に感謝した。
終わり
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